「明るく、底が…ソコが…どこが!?w(゜o゜)w抜けているおばちゃん」
TORIA (o ̄∇ ̄)/です。こんな、わたしは子供の頃
何になりたかった…?
何も無かった。とことん、何も無かったです。保育園に通っていた頃、わたしはすでに気づいてしまった!
集団生活が疲れる。
だからと言って、人が嫌いな訳ではない。
でも、合わせようとするとうまく行かない。
先生(保母さん)は時々理不尽な事を言う。
両親は不仲だ、そして我が家は経済苦だ。
「こんな日常が辛い…」
すでに、保育園児”とりあ”は
うっすら、そんな事を思っていた。
そして、それはずーっとだった。
何になりたい以前に「今」に夢や希望が無かった。
小学生の頃は、この世の中が終わればいいのに
(lll-ω-)ズーン…なんて
恐ろしい事さえ思った。
両親は一所懸命働いていた。
それでも、我が家は経済苦でいろんな意味で余裕が無いという事を
子供ながらに悟った。
だから、欲しい物をねだるとか
何をやりたいとか、親に言った事が無い。
家でも外でも、引っ込み思案で、必要な事をうまく言えずにいた。
高校時代、両親が経営する会社が軌道に乗り出し
我が家の経済的な余裕と共に、すこしずつ環境は変わっていった。
しかし、わたしの好きな音楽を専攻するのを諦め
短大の英語科を受験したいと言えば、親に反対され諦め
とにかく、あっさり風味な進路へ。
先生と親との間のレールを妥協で突き進んだティーン”とりあ”。
就職も、同じレールの上をどんどん突き進み
それが、破壊されたのが
あの出来事だった。もともと、恋愛にも結婚にもさほど夢がなかったわたしを襲った
強烈な「22歳の別れ」は
今、思えば最良のショック療法\(。⊿°)/
同級生や同僚が寿退社する中
初めて「自分は何になりたいのか?」
真剣に考え、思い悩んだ。
そして、その思いは「自分は何のために生きているのか?」
そう、問い続ける日々となった。
「その年齢で今さら、大学に行ってどうする!」と言う
母の激高を遮り、ぶっち切りで大学に入学。
20代で反抗期。そこが、大きなターニングポイントになった。
アメリカの姉妹校で勉強をする機会を得て、北米に行きたい!と思い始めた。
北米で仕事をして、生きていきたい!!
腹が決まった!!!
それまで
さんざん、夢を見てきてない(*`艸´)ウ
*注:こんな「さんざん」な使い方はNGでしょう~。「何を望んでも無理だから…」と自分で自分に妥協してきた。
そんな、自分の生き方の癖を大学時代に止めた。
思うのも、夢見るのも、誰に迷惑が掛かるわけじゃない。
失敗しても良いから、後悔しないように生きよう
そこから、今までン十年。
この世の終わりを熱望していた子供が
今や
夢や希望を信じる、おばちゃんです (o ̄∇ ̄)/小さい頃に、すでになりたいものや
夢や希望があったら…
我が家が経済苦じゃなかったら…。
そんな「タラレバ」を思う事もあったけれど
ひねくれて、屈折していた子供時代があったからこその「わたし」。
遠くに見える、約50年前のわたしを感じながら→えΣ(・□・;)
半世紀かよっ!
今、何が見つからなくても
大人になって、まだ見つからなくても
求め続ければ、自分のレールが、道が、行きたいところが
見つかるはず。
まだ、終着駅には何があるかわからないけれど
その道のりも、愉し♪
GreeeeN-暁の君に(2017)
50代に入ったら、カラダのあちこちにガタが来ております。
・・・が
キモチは、突き抜けて
元気いっぱいな この頃です(;^ω^)
きょうも「傾聴サロン」は営業中*:..。o○☆ *TORIA (o ̄∇ ̄)/