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これなしでは絶対に「目覚め」は起きない‼~認識の流れを観る①~

Yuki.Kyoto

こんにちは、エンパワLabo 氣功師の有岐です。
 
 
 
(★生徒さんからの質問★)
 
心を整えるには「瞑想」が良いと聞きますが、だた何もせず座るという事が苦手です。
 
どうしたらいいでしょうか?
 

 
 
わかります(;^ω^)
 
先に結論を言うと、瞑想にはその段階ごとのカリキュラムがあります
 
つまり「教え」がその中にあるんです。
 
漠然とただ座るのではないという事です。
 
 
 
ただ座っているとどういった状態になるでしょうか?
 
 
 
人は動きを止めるとあれやこれやと頭の中で「妄想」が始まります。
 
家族や子供の心配や、会社や同僚との人間関係の不満、あの時この時の出来事やあの人この人から言われた言葉・・・
 
頭の中は「妄想」がどんどん増幅していきます。
 
禅では「心を無にして」と言いますが、その反対の事が起こってくるわけです。
 
 

 
 私は幼い頃、夏休みになると禅寺に放り込まれて半月ほど過ごしていました。
 
そこでは夜明け前に起床して本堂でお経を読み、朝の掃除をし、そこからやっと朝食となります。
 
 
でもその朝食は、ちょっと普通とは違うんです。
 
無言で食事をし、最後はお茶でお椀の汚れを大根の漬物できれいにして、食器を洗剤で洗う事はなく棚に戻す、そういった全くの無駄のない簡素な動作を作法としていました。
 
 
今思うと、日常の「食べる」「掃除する」全てが瞑想だったのだと大人になって気づいたんです。
 
 
 
 ◆瞑想とは「認識の流れ」を観る事
 
 
仏教には「只管打坐(しかんたざ)」という言葉があり、ただ一心に座る事を言います。
 
でも座るだけが瞑想ではないという事をご存じですか?
 
 
「チーン」と座って目をつぶるのが座禅ではないんですね。
 
 
瞑想は「認識の流れ」を観る事です。
 
そこで最も大切な基本は、
 
ああだこうだと「主観の判断」をしない事。
 
 
私達は感情や思考を制御する方法を学校で習っていないので、「自分の主観的考えを客観視してとらえる」という事が苦手です。
 
 
自分の考えが主観的視点であるという事すら気づいていないかもしれません。
 
だから、「なぜ私の事を理解してくれないのか」という感情が前に出てくるのです。
 
 
 
認識のたとえ話でこういう話があります。
 昔、象を見たことが無い数人に目隠しをして触らせました。
 
 
 ある人は鼻を触り「長い筒のような動物だ」
 
ある人は耳を触り「ひらひらした動物だ」
 
ある人はお尻を触り「固いゴワゴワした動物だ」
 
と言いました。
 
 
 もうわかりましたよね。
 
どの人も象を触っているのです。
 
でもその認識が場所によって違うという事。
 
実際に触っている実感があるので、どの人も「自分が正しい」と確信しているわけです。
 
 
 
 人は「認識」によって「思い込み」を作ります。
 
でも、今これを読んでいるあなたはどうでしょうか?
 象を知っているあなたは、「当たり前じゃないか、触る場所によってちがうのは」と感情も起こらずに思いませんでしたか?
 
 そう、いわゆる自分自身をそういった目線で「観察」するのが瞑想です。
 
 
 
 ◆瞑想のメソッド
 
 瞑想は、先ほどお話した通り、「妄想」を頭の中で反芻して増幅する事ではありません。
 
内なる心の流れを観るには、一気にはいかず、順番があります。
 
それなしで進めると、感情や思考の「妄想」の反芻が大きくなり、逆効果となってしまいます。
これから心を整える瞑想をしようかなと思う方は、参考にしてみて下さい。
 


◆体の流れを観る
 
 
初めの段階は「体の流れを観る」事が出来るようになる事。
 
なんだ簡単じゃないか、と思うかもしれませんね。
 
「あなたは今、心臓の鼓動が聞こえますか?」
 
どうでしょうか?
外に意識が行っているので、聞こえないですよね。
 
 
 
目を閉じて、ゆっくり深く呼吸をしばらくしてみましょう。
 
鼻からゆっくり吸って口から細く長くゆっくり吐きましょう。
 
首、肩、背中、そして下腹の筋肉を緩めて。
 
息を下腹に落とし吐き、その息は下腹で膨らんでいきます。
 
吐くたびにゆっくりゆっくり「ひと~つ」「ふた~つ」と10まで数えてみましょう。
 
 
 
呼吸と体の膨らみに意識が集中してくると、頭は体の様子をうかがう事だけの状態になってきます。
 
先ほどまで混乱していた思考の回転トルクが鈍くなってきます。
 
すると、耳ではなく体で「ドクン、ドクン」という心音が聞こえてきます。
 
 
これが「体の流れを観る」状態です。
 
             ♪♪♪
 
現代、飽食時代の私達は「口から入るもので生きている」事を忘れがちではないでしょうか?
 
砂糖や小麦が脳の「快楽報酬系」に作用して、副交感神経を乱すとわかっていても、ついつい体の声を無視してしまうのではないでしょうか?
 
 
 
先程、お寺の食事や掃除は瞑想だったと話しましたが、日常の習慣の中で「噛む」「飲み込む」「掃く」という作業の中で、「体と心がどういう状態か観る」事自体が体を観るという事で、これがサマディー「悟り」の道を歩く、言わゆる、基本ベースなんだなあと、改めて思ったわけです。
 
 
 ◆ベースとなる「止観行」

私の氣功レッスンでは、1対1の「トンレン」の技法で相手の波動に自分の波動を混ぜ込んで「練った氣」を入れていくのですが、レッスン自体が「止観行」、1点に意識を集中する行を行っています。

生徒さんは呼吸と体感に集中しているので、自然とこの「体の流れを観る」という事が出来るようになっていきます。
 
「気づきを得る」能力の基礎を体得していかれます。
 
レッスンは、オンラインで出来るので、どこからでもご連絡下さい。
 
 
 
このブログは、苦しみから脱却して気づきの高速道路に乗る方法を伝授する秘策を書いています
 
ご興味がある方は、過去のブログも読んでみて下さいね
 
あなたの生きる活力のエッセンスになれば幸いです
 
 感想を頂けると嬉しいです!

次回は
 
「②感情の流れを観る」です??
 
 
 
 

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コラムに記載されている意見は、講師個人のものであり、カフェトークを代表する見解ではありません。

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