まだまだ続くのかしつこいぞ画像編集テクニック(いや私か?)と思われている事でしょう。
私以上にロバート・ディルツ氏はもっとやってくれます。
彼の本『BELIEFS』のデモンストレーションは何と8ページに亘って書かれています。
内容は「私たちは現実に起こった出来事と想像で創った出来事の違いをどうやって分かるのか?」のデモです。
前提として「そもそも脳は現実と想像の出来事を同じ部位で処理をしているので、私たちは何が現実で何が創造の産物なのかを分かっていない。従って戦略をもたなければならない」があります。
デモではクライアント役(Joe)の人に「昨日やった事とやらなかった事は何ですか?」と質問。
J:アイスの上にグラノーラをのせて食べました。温かいファッジはのせて食べていません。
(ジョーさんかなり甘党ですw)
R:その人が現実かそうでないかを判断するのに、グラノーラを食べたとか食べないとか喧嘩したとかしないとか内容は全く関係はありません。それを現実だと判断するプロセスは同じだからです。
そしてジョーさんにとってのアイスにグラノーラがのっていた時(現実)のプロセスや文脈を突き止め、それを温かいファッジ(創造)にも当てはめました。
具体的にジョーさんの場合は、グラノーラの映像はハッキリしていた事、真ん中ちょっと左上に映像を出した事、食べているときに妻が横にいた事、グラノーラをアイスにトッピングするのが習慣だった事(繰り返す)を温かいファッジにも当てはめていきました。
つまりジョーさんには、(創造の方の)温かいファッジをハッキリした絵にし、それを真ん中ちょっと左上に置き、傍には奥さんを登場させた一連の映像を繰り返し再現してもらいました。
さいごにはジョーさん「私は昨日温かいファッジをのせて食べたっけな」と確信するまでになりました。
(よかったね、ジョーさん甘いもの尽くしw)
例えば、Aさんがヨガを新しい習慣にしたいとします。
Aさんの「現実をどう現実と見るのか」のプロセスを見定めて(大体は映像がクリアであることが決め手)それに沿ったやり方で新しい習慣にしたいヨガも当てはめていくと、仮にですが習慣になった経験値になり、もしかすると「あれれー私はヨガじゃなくてピラティスの方がしっくりくるかも」と言ったエコロジーチェックにもなります。
私たちは人間としての取り扱い説明書を持たずに生きています。(当たり前ですが)
徳川家康公の教訓は万人に有効な訳じゃなく、納豆を食するのが万人を健康にする訳でなく、取説は人それぞれ必要となります。ですから人生は色々厄介な訳で。
ただこういった戦略を知ると俄然面白い展開になるのではないかと私は考えます。
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