レッスンを続けていると、ある時、慢心に陥ることがあります。
導く師がいなくとも自分で出来ると傲慢になるのです。
極端ですが分かりやすいのは教祖などになってしまう人ですね。
更に余談ですがそもそも人間は神にはなれません。
なぜなら、人は学ぶものであり、皆等しく上も下もないからです。
レッスンでは、色々な感情が学びの種になりますが、そこには先ず、学ぶんだという姿勢が大切になります。
よく「謙虚であれ」と言いますが、この慢心に陥ると「私は謙虚だ!」と主張してきます。
けれど、本当に謙虚に学ぼうとしている人は「私は謙虚だ」とは言いません。
謙虚とはほど遠い場所にいる自分に気づくのが真の学ぶ者です。
自分自身のことに気付けないことはたくさんあります。
けれど都度その事に気付き責任を持って自分の事として受け止めていくことです。
良いも悪いもなく、気付けなかったので知るだけなのです。
「私は謙虚だ!」と拳を振り上げる人は、堕落を選択した状態です。
その事に気付いたら、そこにいるか或いは謙虚さを取り戻すかの選択です。
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