こんにちは。
私は今イタリアの田舎街に住んでいます。
観光地なので、レストランなどは比較的英語が通じます。
乗り物の表示、看板や広告は全部イタリア語です。
先日、スーパーでちょっと困ったことがあり、店員さんに英語で聞いてみたのですが、イタリア語でお返事が返ってきました。
勉強したイタリア語はすっかり頭から消えて、google翻訳を使い、あれやこれやと、、
言いたいことの言えない消化不良と、情けなさで泣きたくなって帰ってきました。
英語は相変わらず流暢に話せませんが、学校で習った言葉を並べれば、簡単なことを聞いたり、看板などに書いてあることは少しはわかるので、アメリカの駐在が楽だったなぁとよく思い出します。
台湾に引っ越してすぐ、近所に牛丼の吉野家あり、うれしくなってお店に入ったものの、メニューも店員さんも中国語で、小さな子供を連れて途方にくれたことがありました。
会社の人との初めての食事会で、中国語のメニューを渡されて、これまたよくわらずゆっくり見ていたら、中国語が少しわかっていた夫にそこにいる人みんなに聞こえるように
「何でまだ食べたいもの決められないの?どんだけ時間かかってるの?」と、言われたこともあります。
あの時の夫の無神経さは、いまだに忘れられませんが。。
駐在妻生活も、赴任先によってその生活は色々ですね。
英語圏でももちろん、大変なことはたくさんありました。
こうやって、繰り返し恥をかいたり、悔しい思いをするので今日もまた駐妻の私は神経がどんどん図太くなっていきます。
この図太さは必要あるのかなぁと思いつつ、日本にいても色々ありますが、スマートに生きてるように見える日本の友人達を羨ましく思う今日このごろです。
一方で、日本の友人達は、この円安のご時世に色々旅をできる私の生活を羨ましく思っているのだろうなぁと思ったりもします。どこにいたって100パーセントの満足はないんですよね。
今日も平和に暮らせている生活に感謝です。
今日も読んでいただき、ありがとうございます。
では、また^^
コメント (0)