英国の思い出 ー 虫の知らせ(1)

Urashima Taro

カフェトーク新参の浦島太郎です。

主として理系科目を教えています。

未就学児童から中・高校生、受験生、社会人まで、多様な方々のリクエストに対応するつもりでおりますが、今のところ関心を持って下さる方々は高校生・大学受験生が多く、海外在住の方々からの問い合わせも一定数あります。

 

カフェトークのシステムにまだ十分慣れておりませんが、何回かレッスンをこなしたところで、サポートから「10回に達したのを機にコラムを書いてはどうか」との自動メッセージを頂き、若い頃の思い出を連載で書いてみようかと思い立ちました。


若い頃の話は、どうしても研究員時代を過ごした英国の話が中心になります。
カフェトークには英国出身の方や、英国を良く御存じの方々が多いと思いますが、私の場合は自分なりの視点、つまり独断と偏見で、個人的な印象を書いて行くだけなので、頓珍漢な知見はお許しください。


 

計算する時

 

いきなり脱線した話で恐縮ですが、物理屋(とくに理論屋)は計算をするとき、多くの記号を使用します。

   

a,b,c・・・i,j,k・・・x,y,z  というアルファベットが主体ですが、アルファベットの前半は定数、後半は変数と、用途が習慣的に決まっています。日本の高校数学でも同様ですね。途中の i からnまでの6文字は、整数を表す場合に多く使われます。

 

計算を進めて行くと、途中で新しい変数や定数・関数を表す記号が、次々と必要になります。そこで小文字も大文字も使用し、なおかつ、大文字の場合は筆記体と立体を区別して、使用できる文字数を増やします。

 

さらにギリシャ文字も動員します。αβγ・・・ξηζ・・・そのうちの幾つかは、大文字も使えます。ΓΨΘ・・・

 

記号はそれでも、すぐに足りなくなります。これは、頻繁に登場する物理量には定番の記号が習慣的に決まっているためです。標準から外れた記号の使用は混乱を招くのです。例えば t と書いてあれば、条件反射的に時間と思いますので、他の物理量にはあまりt は使えません。

 

したがって、自由に使える記号は、それほど多くないのです。

 

そういう時に、右肩にダッシュを付けると、使用できる記号を増やせます。

x', y',z'・・・x",y",z" ・・・という具合に。

 

ダッシュは、3つまでは、付けることがしばしばあります。

 

さすがに4つは、あまりやりません。自分の計算用紙上ではいくつ付けても自由ですが、論文でこれをやると、編集部からお叱りを受けるでしょう(たぶん、3つ目あたりから)。

 

 

計算が合わなかった日

 

さて、本題ですが・・・

ある夏の日、計算をしている途中で辻褄が合わなくなりました。

この日はダッシュ
を3つまで使っていましたが、なぜか、ある記号のダッシュが、どこかで一つ多くなっています。

 

どこでそうなったのか、わかりません。どこかで考え方が間違っていたのか・・・

 

 

紙面から目を離し、腕を組んで天井を見上げました。

 

書いたものを見ていると、思考が限定されて、間違いに気づかないことが多いのです。自分が書いたものに自分が束縛され、堂々巡りになる。そういう場合、多くの物理屋さんは、室内を歩き回ります。

 

あいにく私に割り当てられたオフィスは狭く、そのスペースはありませんでした。廊下を歩き回る人もいますが、すれ違った人に話かけられても困ります。

 

天井を見上げてからかなり時間が経ち、紙面に目を戻し、もう一度最初から、計算を目で追いました。すると、先程までダッシュの数が多いと思っていた個所が、問題ない数になっています!

 

いったい私は、何をやっていたのか・・・!?

 

 

唖然として目を擦り、紙面を凝視すると、ダッシュと丁度同じくらいの、非常に小さな黒い虫が、消しゴムのカスの中から這い出して来ました。紙を揺らすと、ピタリと動きを止めます。

 

おまえか・・・

 

目で見てもなかなか虫と認識できない、点のような小さな存在に、そのとき初めて気が付きました。虫のサイズは平均気温に比例するようです。英国の虫は日本の虫に比べてかなり小さめですが、これは特に小さい。

 

虫は大体、急に大量発生するものですが、良く見ると、その日は机の上のあちこちに、かなりの数の点がありました。砂ぼこりに見えていましたが、実は虫でした。

 

時間を無駄にした悔しさに、「くそ」と呟きながら、消しゴムのカスとともに虫を払いのけました。

 

すると、虫は手に触れ、簡単に潰れてしまいました。

 

これには再び驚きました。小バエのように、飛んで逃げると思ったのです。これほど動きが鈍いとは、思いませんでした。サイズだけでなく、虫の素早さも気温の低下に伴って下がるようです。

 

虫の真っ黒な体液がインクのように紙に染み、今度は本当にダッシュを印字したようになりました。

 

それ以来、私は消しゴムのカスを払いのけるとき、手を使わず、息で吹き飛ばすのが習慣となっています。

 

私の父は寺の生まれで、自身は仏門に入りませんでしたが、私は子供の頃から殺生を戒められていました。もちろん、潰してしまってダッシュが印字されても困りますので・・・

日本の虫は素早いので、帰国してからは気にする必要がなくなったのですが、今でもその習慣が抜けません。

 

 

 

 

追記

 

記号が足りなくなった時、漢字が使えたら良いのに・・・と時々思うことがあります。

 

「中」など、ギリシャ文字 Φ に似ているので、使えそうな気がします。

平仮名も、筆記体として面白いかもしれません。

 

関孝和は江戸時代に、甲・乙・丙・・・などの漢字で未知数を表し、代数学を発展させていましたが・・・

 

物理学は国際社会の共有物なので、そうも行きません。

 

 

ちなみに、私は今でもゴキブリやハエは、家の外に追い出すだけです。

 

カミさんに見つかると、大層叱られますが。

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