「青い眼が欲しい」の「眼」は

Kyoko. I

こんにちは。Kyokoです。

  トニ・モリスンの「青い眼が欲しい」の主人公 ピコーラと、語り手のクローディアは、対照的です。

 ピコーラは自分の容姿を否定しています。夜、横になった時、自分の身体のパーツを、一つずつ消していく想像をします。そして、「神様、私を消して下さい」と祈ります。でも「眼だけは、想像でも、どうしても消せなかった」というくだりがあります。

 この「眼」は、「物事の捉え方」の事かもしれません。又は、「“自分は、こういう人間だ”という自分の認識」と、置き換えても、意味が通るかもしれません。

 一方、クローディアは、身の周りの(社会の)「美の基準」はお構い無しで、「自分は、美しい」と思って生きています。

「眼」が、どんな言葉と、置き換えられるのか(比喩なのか)と、思いながら読むと、発見がある小説です。

Kyoko 





本コラムは、講師個人の立場で掲載されたものです。
コラムに記載されている意見は、講師個人のものであり、カフェトークを代表する見解ではありません。

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