「話が煮詰まりましたので・・・」この日本語、日本人の年代によって意味が違います。日本語の先生も生徒も注意。

anegawa

日本語というものは、時代によって意味が変わります。これは英語や中国語韓国語スペイン語イタリア語など

の外国語にも言えるでしょう。日本語の勉強をしている生徒の皆さんの国の言葉はどうですか?


さらに、教わる先生の年代によって意味が変わる日本語も増えてきました。

問題は、これらの、意味が変わりつつある日本語を認めていいかどうかでしょう。




先日ある若い日本語の先生のレッスン説明を見ていました。

ちょっと気になる言葉がありました。

日本語の勉強なのか心理学の勉強なのかわかりませんが、ビジネスで「会議中に煮詰まったら」という

表現がありました。



「煮詰まったら」「につまったら」


これは、物理的な意味では料理などでも使います。鍋の中に入れた材料と水分が混ざって、しばらくして

水分が減った状態をいいます。

これは物理的な言い方なので問題はないと思いますが、文脈でいう場合は本来の意味と違う意味があるようで

年代でとらえ方が違うようです。


でも、これ日本で仕事をしたり、日系企業で日本人と仕事をする外国人の場合、意味が逆になりますので注意

が必要です。



設定   会社での会議終盤としましょう。

司会者「え~、そろそろ話も煮詰まったようですので・・・・」


この「煮詰まったようですので」は、「話も結論に近くなったようですので」という意味が本来の意味

です。

ですから、後に続く言葉は、「そろそろ決を採りましょう」などとなり、意味は「採決しましょう、答えを決

めましょう」になります。少なくとも年配の人はそう思います。


ただ、最近若いビジネスマン、ビジネスパーソンの間では、(20代~30代)

行き詰まった」と同じ意味で使われているようです。


若い日本語の先生のレッスンをたまたま見たら「煮詰まった方に・・・アイデアを」「考えても考えても思い

つかないときのひらめきを与える」ような表現がありました。

ちょっと違和感がありました。ただ、ある意味当然でもあります。


「日本語教育」なのか「心理学、相談事」なのか、レッスンはわかりませんが、両方のようでした。

でも、これは補足説明が必要ではないでしょうか。

若い人に  「煮詰まる」=「「行き詰まる」  が増えているのは事実のようです。

データにもあります。


しかし、問題はこれを「日本語教育」として外国人に教える場合、問題が起こる可能性があるということで
す。



日本人だけのビジネスの会議でも、この表現を使うと意味が逆になります。同じ会社の会議でも年代が違うと

日本語を知らないと取られかねないですし、違う会社、取引会社との会議であった場合、相手が若いか年配者

かで言葉の意味を知らない人間と思われる場合もあります。



外国人に日本語を教える際には、やはり本来の意味を教え、プラス 最近の若者は、ちょっと違う意味で考え

いる人が多いことを説明すべきでしょう。ビジネスの場では、「そろそろ結論に近づいたので」の意味で考

た方が無難ではないでしょうか?


話も煮詰まったので➡「話も結論が出そうになったので◎」「結論が出なくて行き詰まって△△」


私は、若い人が「行き詰まる」の意味で使っているとは知りませんでした。ある意味当たり前ですが。

だから、その先生は、素人の日本語教師と思いました。

ただ、ネットの情報でのデータでは、若い人は使うようです。それも事実です。

だから仕方ないかもしれません。認めないといけないかもしれません・・・・・が。




煮詰まる」をインターネットで検索してみると、「行き詰まる」だけのマイナスの意味を書いているのはあ

りませんでした。

やはり、結論が出そうな状況が主たる意味(プラスの意味)だけか、

補足として若者のとらえ方が「行き詰まる」もあるという説明がほとんどでした。



年代の違い、時代の違い、時代の流れと言えばそれまでですが、まだ「行き詰まる」の意味で外国人に教える

には無理があるかも知れません。




昔の意味と今の意味が違っている言葉は他にもたくさんあります。


敷居が高い」も本来は「誰かに不義理をして、その人に会いにくい」という意味が、「料亭、高級料理屋な

どが自分には高すぎて身分不相応のような感じ」に、今はなっています。


「今が潮時だ」も、本来は「いいタイミング」の意味ですが、最近は「もうそろそろ、身を引いた方がいいか

なぁ、年だし」などのマイナスの意味で取られることが多いです。


日本語は、時代とともに変わっていくものですが、問題はそれが過渡期にある場合、どちらを支持するか

す。

文部科学省の「敬語の指針」に出れば、正式にどちらが正しいと言えるのですが、難しいですね。

もう出ているでしょうか?



日本語を教える場合、ビジネスマナービジネス用語、日本語を勉強している外国人のみなさんにどう説明しま

しょう。

日本語講師として教えるのであれば、どちらも説明できないとダメかもしれませんね。

日本語を勉強している外国人のみなさん、どう思いますか? JLPTのN1超のみなさん、どう思います

か?



違う一例

ビジネスマナーの先生も、平気で「とんでもございません。」は、間違いですと教育してますからね。

「とんでもございません」➡「とんでもない」(形容詞」の「ない」を切って、敬語の「ございません」を付

けるのは間違いと教えているマナー講師がいます。(ある意味正しい、諸説ありますが)

「とんでもないことでございます」「とんでものうございます」が正しいと言うマナー講師がいますが、

これももう間違いになっています。



2007年文科省下部組織文化審議会「敬語の指針」で「現在は(広く使われているので)問題ない

考えられる」と正式に出ています。

勉強不足のマナー講師も時々いるわけです。日本語の先生にもいるでしょう。



日本人というだけで日本語は教えられない分野です。

日本語講師の「資格もない」でもいいですけど、実力もない知識もない経験もないで「会話するだけ」、

日本語を習う生徒がかわいそうですね。


まぁ、私もまだまだのレベルですが、どういう教え方をしたら外国人の人が分かり易いかは常に考えておりま

す。



文法的に正しくても言わない、文法的に間違っていても言う。


日本語は難しいです。

日本語を教えるのはもっと難しいです。

日本語を分かり易く教えるのはもっともっと難しいです。


100レッスン、200レッスンで満足していいでしょうか?

100時間200時間300時間のレッスンで満足していていいでしょうか?

会話するだけの300時間も問題ですけど!



まずは、3000時間教えることを目指そう~~。

(あ~、この前生徒の質問に即答できなかったのがまだくやしい~~。)



This column was published by the author in their personal capacity.
The opinions expressed in this column are the author's own and do not reflect the view of Cafetalk.

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