小さかった時の夏休み、サンダルを履いて、虫とり網とかごをもって、庭やお寺などいろんなところをウロウロした。
ねらいはクマゼミ。大きな黒い体ではねは透明。はねの脈は緑。堂々とした大きな体は希少価値が高かった。全体の色が茶色のアブラゼミはすぐ見つかるので、クマゼミをつかまえていることがステイタスとなっていた。サクラの木でつかまえていた気がする。そして、セミの合唱を聞きながら昼寝をした。
夏と言えば懐かしく思い出す「セミとり」である。
しかし、今はどうだろう。
全くと言っていいほど相手にしなかったアブラゼミがほとんど見られず、セミと言えばクマゼミというくらいたくさん目にするようになった。
なぜなんだろう?
光村図書中学2年の国語に「クマゼミ増加の原因を探る」という教材があり、この疑問に答えてくれている。
この報告文では
①冬の寒さの緩和
②気温上昇による孵化の時期の変化
③ヒートアイランド現象による乾燥と地表の整備による土の硬化
という3つの仮説を立てて検証している。
検証の結果、クマゼミの占める割合が高まった背景には
①ヒートアイランド現象の影響で、孵化と梅雨が重なったこと
②クマゼミの幼虫は硬化した都市部の土に潜る能力がほかのセミより圧倒的に高かったということ
があるとわかり、ヒートアイランド現象が影響しているというのである。
ヒートアイランド現象が原因と考えられる熱中症や集中豪雨などのニュースが、毎日のように伝えられている。本当に何とかしなければならないヒートアイランドだ。
マンガなんかでは、よくセミの鳴き声は「ミーン ミーン」と表現される。でもこれはミンミンゼミ。
私にとってのセミは「ミーン ミーン」ではなく、小さい時によく聞いた「ジー ジリジリジリ」のアブラゼミと、増加した「シャン シャン シャン」と朝早くからうるさいぐらいのクマゼミだ。
以前、山形県の立石寺で見た芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句碑。この句は現在の暦で7月13日に読まれたことが曾良の日記に記されている。時期から考えると、ここに出てくるセミは「ジィー」となくニイニイゼミだそうだ。季節的にはニイニイゼミ、クマゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミ、ツクツクボウシの順番だろうか。
子どもの頃からとても身近なセミの一生は、「幼虫7年成虫7日」ときいたことがある。この通りではないと思うが、成虫として生きるのはやはりたったの一週間程度だろう。
イソップ寓話の「アリとキリギリス」のお話は、元は「アリとセミ」だったらしいが、「アリとセミ」であるなら、短い成虫の間、精一杯ないて、その間に子孫を残すセミのことを思うと「アリとキリギリス」の教訓が「まったくしっくりこない」と思ってしまう。
これから始まる夏休み。長い長いと思っていても、あっという間に終わってしまう。セミのように一日一日精一杯生きていきたいものだ。