我が家にリスがやってきました!
数週間前から姿が見られるようになり、今日は思いがけない場所での再会です。
私は樹木が好きなのでたくさん植えているのですが、そのせいもあるのか、リスが寄ってくれるようになりました。
果ては森にしたいと思っているのでとても嬉しいです!
さて、最近つくづくプライドは進みの邪魔をするな、と感じています。
人はそれぞれ、それぞれの方の基準で自分自身を評価しています。
もちろん私もそうなのですが、これって本人が自覚している以上に大きな存在なのですよね。
かつて私はこの評価にとても苦労しました。
それは時に自分を守る物であったりもするのですが、道理が解ってしまうとほぼいらないものだったりします。
例えば、「私はこれだけできる」とか「有名な誰それの知り合いだ」とか「実績のある選手だ(だった)」「私は裕福だ」「私は一流大学を出ている」とか役職が高いとか挙げればキリがないほど。
反対に、そういう思いを出さず相手を見下している人もいますよね。
また、「あたしには何もない」「結局こんなもんなのよ」のようなことも、自分に基準を見ているから卑下も存在する。
態度が大きいか小さいかに関係なく、自分への特別視は誰にでも普通に存在するものです。
それがあるのがどうのというのではなく、出し方が問題なのですね。
対人だけではなく、あ、というか、みなさん相手と話していて相手に投げていると思っているでしょうが、口から出た言葉を一番よく聞いているのは自分ですよね。
頭で考えていることも一番聞いているのは自分です。
私は今語学の習得に励んでおりますが、これを一番阻害しているのは失敗への恐れです。
「話しているところを聞かれて全く話せないのがわかってしまったら恥ずかしい」とか、これだけでもめちゃくちゃプライドだと思いませんか?!
わからないのだから、わからないなりに今日のベスト(じゃなくてもいいけど)でやればいいだけで、失敗したらそこから学べばいいだけなのですよ。
でも「いい大人なのに」とか「失敗したくない」とかもう少しまともに話せるはずとか、あれこれ自分に課して萎縮する。
こういうのはどのようなことにも通じますよね。
私がここで提供している自分自身への学びも、プライドが出てジャッジしてしまい自分の成長を自分で邪魔している。
今の私の語学への不甲斐なさを見つめた時、それって惜しいなーとものすごく感じるのです。
年齢を重ねた大人だって知らないことはたくさんあるし失敗するしまた成長もするんです。
どんな風に捉えて生きたって、それはそれで毎日生活できますけど、でもそれを自分で止めているなら惜しいな…と。
素直になってしまえばどうということないのですが。
大人になってしまった故に高いプライドが邪魔をする。
優越を手放せずその場から離れることができない。
もしかしたら「私は素直だ!」と思っているかもしれません。
けれど、既にそこに立ってる時にプライドが存在したら、プライドを通しているのでそれは素直ではないのです。
私は何度も生徒さんの温かい心に触れています。
これはセラピスト冥利につきる素晴らしい体験です。
この時生徒さんはどなたももっともその方らしいピュアな状態でいます。
みなさんとても良い顔しているのですよ!
けれど、自分の思い方一つであっという間に”思惑”の別地点へ行ってしまう。
それが人です。
自分自身へ真心でいるのは思っている以上に難しいです。
けれど、プライドがなければ容易いことです。
このプライド、自分への特別視が表立つと大体の方は怒って他者にあたるのですね。
「私はちゃんとやってるのに!」「私をだれだと思ってるの?」
自分のことは棚に上げて、ちょっと周りを見てください。
そういう場面に出くわしたことありませんか?
これがだめだという話ではないのですね。
支配されたり無意識に外に出している自覚の無さが問題になるのです。
それは他人にもそうですが、一番は自分がダメージを受けています。
クレームから良い商品を作る、に似ているかもとふと思いました。
その商品が悪い訳ではなく改善されたらより良くなる。
自社のことはよく見えなかったりするので外からの声が発見だったりする。
クレームもらったからって価値が下がるということではない。(事によりますけど)
だからどれだけ謙虚になれるか。
傲慢な会社や学校だったらそれなりの結果になるのは良くみることです。
優越感は何もしてくれないのですよね。
それらを持っていても解消されない姿を見れば一目瞭然。
けれど、いつまでも持ち続け盾にしている。
さて、それは何故でしょう。
こうやって考えたり気付けたりするのも皆様がいてこそです。
ありがとうございます^^
*私は人の微細な感情を感じ取るのが得意です。
みなさんを前にする時、時に「その方の為にいられるか」と不安になる時もあります。
けれど心配無用。
みなさん雄弁に語ってくれます。(言葉ではないところで)
私はこちらから提供することはあまりしません。
十人十色、その方らしくあるようその方を感じ、そこにある救い取れない部分を表面化できるようお手伝いしています。