前回から続く
ドイツの教育と社会
ドイツの学校教育には、当てはめ思考を強制する傾向があります。これは日本の学校教育にもある程度共通しますが、ドイツの方がその傾向が強いように思います。
研究会やシンポジウムで、ドイツの若手研究者の中に、比較的このケースを多く見かけました。学生時代から勤勉で、学習量に絶対の自信を持っている彼らは、間違いを指摘されると、「常識」を振りかざして反撃してきます。
実際、シンポジウムでの討論は、研究者としての評価が問われる場で、若手にとっては緊張感に満ちた戦いです。大御所に果敢に挑戦するのは若手の特権で、それは高い評価にもつながりますが、「I am sorry!] とそっぽを向かれることが重なると、キャリアも難しくなります(その点で日本人は間違いに関して非常に慎重です)。
この緊張感は、ホストとゲスト、あるいは(私とPのような)親しい研究者同士の私的なディスカッションでも、あまり変わりません。相撲部屋の出稽古のようなもので、若手はシニアの胸を借りて強くなります。
当てはめ思考で重要な結論が得られるような「美味しい」仕事は、発展の初期段階で、すべてやり尽くされます。
若い研究者が世に出るためには、そこから一歩、抜け出なければなりません。ドイツでアカデミックな世界に残るのは、ポスドクのおよそ10人に1人と言われます。
Pの本質
帰国して大学で教えるようになり、日本にもそのような若い人々が少なくないことを知りました。私の観察では、芸術的な性向のある人の多くは、そのタイプです。そのような人々は、受験社会ではあまり得をしません。
絵が好きだった自分に、リフォームの仕事を勧めた兄の判断は正しかったと思うが、それを一生続けられるか?と自問自答したとき、答えは完全にノーだった、と語っていました。
彼はその時、自分が何者であるかを悟ったのでしょう。
Pは自分が何者であるかを知ると同時に、自分のやり方を自覚し、それを貫く決心をしたのでしょう。
そしてそれにより、彼の本来の能力が覚醒し、当てはめ思考では到底及ばない、自分の学問スタイルを確立したのです。
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