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Cafetalk Tutor's Column

Tutor Keisuke.H 's Column

I was a bocchi.⑧

2024-03-27

幼稚園に入る前のことだと思う。
ぶどうの絵を描いた。
丸をたくさん書いて並べただけの絵。
両親が褒めるから嬉しくなって絵を描いた。
 
見えたものをそのまま描くだけだから、
特に難しいと感じたことはない。
鉛筆で輪郭を描くだけ。
1つの絵を上手く描くよりとにかくたくさん描いた。
 
小学校の頃、トリヤベ先生に絵の才能を褒められた、らしい。
母も父も私には絵の才能があると思ったかもしれない。
ただ、私は自分の絵が上手いと思ったことはない。
そこにあるものを紙に写しているだけだからだ。
 
クラスで自由に絵を描くことがあった。
私は電車が好きだったので『特急はつかり』を描いた。
ふと、横を見ると友達が『東海道新幹線100系』を描いていた。
線が細くて格好が良く本物みたいだった。
もう一度自分の絵を見ると、今度はバランスが悪く見えた。
『私は絵が下手なんだ』
そう思うと今までの熱は冷めて、絵を書くのが嫌いになった。
 
小学校3年で神社の写生大会で金賞、
小学校4年で未来の都市を描いて佳作に選ばれた。
でも、絵を描くのは嫌だった。
受賞した作品はどれも本気で描いてない。
自分で見ても上手いとは思わなかった。
むしろ逆で下手な絵だと思った。
手を抜いた方が評価されて、本気で描くと評価されない。
そんな周りの評価が大嫌いだった。
 
いつからか絵を完成させなくなった。
酷評されるのが怖かったのかもしれない。
ずっと細かい部分を描き続けるから全体図ができない。
木登りをする人と木の幹は描くけど、
空の色は手付かずの白のまま。
先生に怒られて居残りして色を塗ったこともある。
最後は仕方なく適当に水色を塗った。
 
スケッチブックには白紙のページが多かった。
それは決して可能性を表す白ではない。
何もない空虚の白なのだ。

This column was published by the author in their personal capacity.
The opinions expressed in this column are the author's own and do not reflect the view of Cafetalk.

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