▶「傾聴への道①絶望の入り口」を読む
▶「傾聴への道②またも絶望、そして宿命」を読む
▶「傾聴への道③大きな選択が迫る」を読む
母が倒れる年の2月。
わたしはすこし長く休みを取って東京の実家に帰省した。
両親が高齢だし、それこそ、いつ、何があるかわからないからという気持ちがあったから。
帰省したからと言って、特に何処に行くわけでもなく
母と近所を散歩しながら“とりとめもない話をする”。
小さい頃、した事もないような
“お母さんと腕を組んで歩く” そんな、ひとときを繰り返した。
約1か月の滞在を終える頃、母が妙な事を言いだした。
「とりあちゃん、ねぇ! 今年もう一度、日本に来てよ」
わたしは、そんな無理だよ…と返したものの、母は何度も、来てほしいと繰り返す。
「とりあちゃん、お母さんね。とりあちゃんと会えるの、もう最後だと思うのよ。
約束してよ、もう一度来てよ。」
わたしは縁起でもない!今年はもう無理だから。
また来年、来るから…と言い返すと、母は寂しそうな顔をした。
母はいつも強い人だと思っていた。
涙も見た事が無い。
いつも強く、きつく、厳しく。真面目過ぎるほどの、あの母が
今は小さく、弱弱しかった。
わたしは、とても不安だった。
言い知れぬ不安を感じながら、泣きながらカナダに戻った。
その4カ月後、母が倒れるなんて・・・。
8月末~
「東京の夏なんて、15年ぶり位じゃないだろうか…」
暑さにめっぽう弱いわたしは、夏に帰省する事を嫌った。
しかし、すこしでも早く母に会いたくて、すこし予定を前倒しにした。
時差ぼけも抜けきらず、とてつもない暑さの中
母が入院する高齢者医療に特化した、脳疾患専門病院を訪ねた。
恐かった。
なぜなら、母の高次脳機能障害には記憶障害もあり、加えて高齢な事から認知障害もあるのではと心配した。
わたしを見ても、もしかしたら誰かわからないのではないだろうか。
恐る恐る病室に入ると、車椅子に乗った小さな婦人の姿が見えた。
その後ろ姿で、すぐに母だとわかった。
元気そうに療法士と話をしている。
わたしは、いきなりびっくりするだろうか、と思いながら
母の肩にそっと手を掛け 「お母さん」と呼んだ。
振り返った母は、びっくりした顔をした後
ひまわりのような笑顔になった。
「とりあちゃん、本当に来てくれた。約束を覚えていてくれた」
なんと! 母は、わたしの事も
一方的な母の“あの約束”も覚えていた。
そして、これまた驚くような事を言いだした。
「とりあちゃん、思い出を作ろう。
とりあちゃんが、寂しくないように
思い出、作ろう」
母は、最後の・・・
最期の思い出を作るために
あの時、一方的な約束を言い出したのだろうか。
そして、本当なら死んでいてもおかしくない…と言われるほどの状況で
母が生き延びたのは
“この” 思い出作りのためだったのかもしれない。
そう思うと
わたしは、すべての道が決まっていたような気がした。
それが「傾聴に続く道」になるとは、まだ気づいてはいなかったが。
優河「灯火」(2022)
▶⑤母、そして家族を読む
TORIA (o ̄∇ ̄)/