世界文化遺産の宮島厳島神社で、毎年4月の16日からの三日間、「桃花祭」と言うお祭りがあり、能が古式に乗っ取って演じられます。太陽の高度に合わせた演目で、日が沈むまでに、5つの「能」とその合間の4つ「狂言」が演じられます。
近年、能は室内に設置された舞台で演じられるのですが、本来は日中に野外で行われていました。夜に演じられる人気の薪能は観光客用で最近のものです。
ある時、宮島で演能することになった時、心配して師匠に質問しました。「雨が降ったらどうするんですか?」との問いに「屋根があるから大丈夫だよ。そのための屋根なんだから。」という答えが返ってきました。普段、飾りとしか思っていなかった室内舞台の屋根の本当の意味を実感しました。
ここの能舞台は観世流と喜多流の管轄で、プロが演じるだけでなく、三日目はアマチュアが参加できる仕組みになっていて、三日間とも大人は200円の神社の拝観料だけで、観劇ができます。
厳島神社の舞台は、他の野外の舞台と大きく違うところがあります。それはまず観客席と舞台との間が海であるということです。舞台での音が水面を伝わり、後ろの山に反射して戻ってくる仕組みです。
本来、能は神様に奉納する形式を取るのですが、この島では、たくさんの鹿が自由奔放に生息していて、彼らはみな神様の化身です。鹿に見せるということから「鹿能」とも呼ばれています。
世界遺産なのですが、気取ることなく、実に田舎くさく、のどかです。
「甘酒はいりませんか~?」「座布団は入りませんか~?」という威勢の良い売店のおばちゃんの声。「ピンポンパンポーン!」「こちらは市役所です。」という爆音がスピーカーから。「え~皆さん。あちらで演じられているのは~。」と、ハンドマイクの修学旅行引率のガイドさん。普段は、咳払いやお菓子の包み紙の音さえもはばかられるのに、なんとも大雑把な環境です。
師匠に「あれが昔のかたちなんだよ。俺はそんなところが好きなんだ。」と言われてしまい、私も観念して開き直るしかありません。
ここで何度か演じる機会に恵まれましたが、演能中に潮が完全に引いてしまっている時もあれば、舞台が浸水する手前まできている時もあります。聞いたところ納得しました。昔この期間は、必ずほどよい満ち潮だったそうです。何故ならお月様のカレンダー(太陰暦)を使っていたからです。人の生活はいかに月と結びついてきたかがわかります。
いつも幕があいた瞬間、心臓をつかまれるような緊張感を覚えるのですが、ここではまるでサウナから外に出たような開放感を覚えてしまいそうで、意識して緊張感を取り戻すことがよくあります。
さて、一日の演能が終わるとすぐ日没です。演じた者も観客も働く人までも、我先にと本土行きの船に乗り込みます。ささやかに残された観光客は一旦宿に帰り、お土産屋さん巡りを始めるのですが、7時になると、一斉に街全体が店じまいと消灯を始め、島は真っ暗になってしまいます。全くもって儲ける気持ちゼロです。
もう少し情緒を楽しみたいとも思うのですが、これも旅の風情の楽しみの一つなのでしょう。
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